2015/10/27

こんな豊かな国に生まれ出て、何で僕はこんなにも不安を感じて生きているんだか…。

我ながら、おかしな話しだなと思う。

でもたまに思うんだけど、それって単純に、個人的な話しだけでは無くて、国や時代で大きくテーマみたいなものが存在している気もする。

20世紀は20世紀のテーマと問題がある。

21世紀は21世紀でテーマと問題があるんだと思う。

戦国時代は斬り合いが普通にあったし、階級制度もあった。

食べるものにも困っていたし。

食べるものに困らなくなったのはここ数十年の事だよね。

ちょっと70年前までは、バンバン戦争をしていたし、徴兵制度もあった。

戦後は物も食料も無くてみんな苦労していた。

そういう意味では、ひきこもりもニートも成立しませんでした…。

まぁ、そんな考えも浮かばなかったとも思うけれど。

みんな生きるのに必死で、うつの人もいなかったという説を言っている人がいるぐらいで。

でも、時代は変わったのです。

時代と時代や、国と国を比べて、いろいろ言う人がいるけれどもそんなものは比べるものでは無い。

何故なら、それぞれでテーマや問題が違い過ぎるからです。

そういう意味で、世紀を跨いで生きている人はハードな側面が出てくると思う。

何故なら、20世紀と21世紀のテーマが全然違うと思うからだ。

全然違う、二つの方向性のテーマと問題を体験するのは大変だ。

20世紀はとにかく、目に見えるものを追いかけてきたと思う。

車、家、服、家電、学歴、資格などなど……そういう形。

21世紀は、20世紀の人達ががんばってくれたおかげで豊かになった。

衣食住が揃ってくると同時に、「自分てなにもの何だ?」という疑問が出てくる人達が増えてきたんだと思う。

21世紀のテーマは、自分の中のこころだと思う。

「自分て誰だろ?」「自分て何をしたら幸せなんだろう?」こうゆう事。

お釈迦さまも、ビンボーで毎日忙し過ぎたら、「人間とは何だ」何て真剣に考えなかったと思うんだよね。

やっぱり王子でいろいろと揃っていたから、根源的な疑問が出たんだと思う。

現代の人達も、似たような状況があるんじゃないかな。

そして、20世紀と21世紀のシフトが未だにうまく出来ず、その歪みが家族に出てきている気がする。

20世紀があまりにも、物や形を追い求め、効率化を進め、「形だけ整えば良い」と人の心を無視してしまった側面があると思うんだよね。

まぁ、それは戦争が大きく影響はしているんだが、その結果、家族も形だけになってしまった。

そこで家族と家族のこころの交流や、愛し思いやる気持ちが薄くなってしまったのだと思う。

その交流や触れ合いの薄さが、僕に漠然とした不安感や孤立感を与えてくるような気がしています。

不安感について考えたら、やたら壮大な話になってしまった(疲れたぁ)。
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