村上春樹 読み方


この間、「騎士団長殺し」を読みました。

上下二巻で1000ページ弱、長いです。

なかなか、長時間楽しませてもらいました。




そこで、ブログに自分なりの感想みたいなものを書いていたのですが、そもそも村上春樹って、単純に読むことが出来ない作家だったなと思い出しました。

yahoo!などで検索してみると、「読みづらい」「読みにくい」「読みやすい本」などが表示されています。

村上春樹 読みにくい


つまり、世界的に売れている作家なのにも関わらず、世間的には読み方が分からない人が続出しているのです。

これは村上ファンとしては、由々しき問題です。

そこで、ひきこもりさん的ではありますが、村上春樹をどう読み解くか紹介したいと思います。

まぁ、いろんな読み方があると思うので、僕バージョンですね。

物語(ストーリー)について



村上作品はストーリーはどっか添え物みたいなところがあって、読者によって読み解き方が変わってくると思います。

それはノベルゲームと似ていて、読み手(プレイヤー)の選択肢(感性)によって、途中から「Aルート」「Bルート」「Cルート」と感じ方が分かれて行くようなものです。

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画像引用: 株式会社スパイク・チュンソフト | かまいたちの夜




すると選択肢によって、ゲームのエンディングが変わってしまうのです。

だから、「俺も同じゲーム(村上作品読んだぜ)クリアーしたぜ」と言われても、見ているエンディングが基本的に違う場合も多いのです。

もちろん同じエンディングを見る人もいるけどね。

何ルートの感想かは分からない



作中にもフレーズで出てくるが、作品は発表された時点で、見る受けてのものになってしまうのだ。

まぁ、どんな作品にも言えることではあるが、読み解き方によってプラスにもマイナスにも解釈できてしまうよね。

またもう一つ例えると、昔話の「おむすびころりん」「かぐや姫」「桃太郎」なども、読み手によっては解釈が変わってくる物語だと思うんですよね。

もちろん、物語としての、起承転結は存在してるんですけど。

なので、いろいろと読み解く余地があるから、本当は怖い昔話みたいな本もありますよね。



そんな感じで、物語の本質部分(コア)をどう読み解くかは、読者のレベルによって変わってくると思います。

同じ本を読んでも、感想が変わってくるのはそのせいがあるからでしょう。

そこら辺も村上作品の面白いところなんだと思います。

「つまり、僕が知らないでいた方がいいことは教えてもらえないということですね」と私は言った。

「なぜならば、わたしにわざわざ教えてもらわなくとも、ほんとうのところ諸君はそれを既に知っておるからだ」
私は黙っていた。

「騎士団長殺し」一巻 361pより



なぜ小説という形式にこだわるのか?



まず、世の中に文章を発表するということは、何かしら読者に伝えたいものがある人だと思います。

それは、どんな作家でも同じことでしょう。

村上さんは「自分のために書いている」とインタビューで答えてる時がありますが、自分のためだけなら、わざわざ作品として発表する必要は無いと思うのです。

だから、何かしら読者に感じ取って欲しいという想いはあると思うのです。

ではなんで、作者は伝えたいことがあるにも関わらず、複雑になりがちな小説という形式で発表するのでしょうか。

それは、物語の形にすることで、読者が作品に入り込みやすくなるからです。

どんな作品もそうなのですが、読み進んでいる時はみんなどっかで、主人公になりきっているところがあるんですね。

ハリーポッターを読んでいれば、みんなどっかで、ハリーになりきっている時があると思います。

そこが大事なポイントなのです。

物語の中で、ハリーがいじめられれば、自分も嫌な気分になってくるものです。

それは主人公になりきって読んでいるから、湧き起こってくる感情なのです。

村上作品でもよく暴力シーンや残虐シーンなどが出てくるのは、読者の感情を動かすためです。

つまり主人公になりきって読んでいると、ココロの内側から感情が揺さぶられてくるのです。

このココロの内側からというのがポイントです。

では、自己啓発という形式ではダメなの?



伝えたいことがある、ならば分かりやすく、自己啓発やビジネス書という形式にすれば良いのではと感じる人もいると思います。

と言うか、僕も思っていました。

何でわざわざ物語にして、分かりにくくするのだろうと…。

でもそこには大事なポイントがあったのです。

それは、自己啓発本はどうしても、事実だけをわかりやすく書いているので、いくら優しく作者が説いていても、読者にはどこか説教のように感じてしまうところがあるからなのです。

つまり、ココロの内側に入り込む装置としての物語が無いので、どうしてもココロの外側から言葉を受けてしまうことになるのです。

そうすると、人間ココロの外側から言葉をかけられると、どうしても説教くさいと感じてしまうのです。

また降ってくる言葉というのは、どこか上から目線に感じてしまい、ココロの中に拒否反応が出てしまうのです。

そうするといくら本当のことで、良い言葉でも人のココロの中には入ってこなくなってしまうのです。

じゃあどうすればいいのかというと、

「ココロの内側に入り込めばいい」=「物語と言う形式で発表すればいい」

となるのです。

ココロの内側に入り込むことの効果



ココロがどんなにガチガチに固まっていている人でも、内側に入り込めれば、その膠着した状態を、内側から打破してふにゃふにゃにさせることができるのです。

するとココロが柔らかくなり、人によっては、柔軟性が上がったことで悩みが解決してしまう場合もあるのです。

ココロが固いと視野が狭くなり、コレじゃなければダメだと思いがちですが、ココロが柔らかくなることによりこんな道(自分)もあったのかと気づけるのです。

だから村上作品で、「癒された」「回復した」と言う人がいるのは、ココロの中でこういった作用が働いているからではないでしょうか。

さいごに



結構長くなってしまいましたが、これで少しは村上作品が読みやすくなったのではないでしょうか?

ちょっと長くなってしまったので、まとめます。

  1. 読者の精神的レベルによって感想は変化する。

  2. ストーリーの表面だけ追っても意味がない。

  3. 物語の仕組みは偉大である。


と、なります。

みなさんも、この記事を参考に、自分の読み方を探してみてください。

今回の記事が、少しでも読み方の参考になっていれば、村上ファンとして幸いです。

それでは次回は、「騎士団長殺し」の感想をUPしていきます。

また次のブログでお会いしましょう。

またね。

関連記事▶︎羊男とか、スバル・フォレスターの男とは何者なんだ? ひきこもりは騎士団長殺しをこう読んだ。





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