騎士団長殺し 感想



最初は、どう読み解くかがかなり難しいから、感想を書くのはやめようと思っていました。

でも途中から、自分なりの感想なら書いても良いかなと思い、書いてみました。

これは、あくまでも僕なりの感想なので、ズレてるところも多分あると思います。

そこらへんは参考程度に読んでみてください。

僕が村上作品をどう読んでいるかはこちらの記事で…

関連記事▶︎ 村上春樹をどう読むか【読みづらいと感じるあなたへ】

今回の騎士団長殺しの感想



まず読んでいて思ったのは、「ダンスダンスダンス」という作品をすごく連想しました。



と、いうか、「ダンスダンスダンス」という作品の書き直しに感じました。

いわいる初期の四部作シリーズです。

それで、よくよく見てみると、表紙第一巻の剣のデザインが、羊なんですよね…。
騎士団長殺し 羊をめぐる冒険


わかる人にはわかるように、意図的にデザインしてるんですかねぇ(深読みしすぎか?)。

エッセイだったかインタビューだったかで、本人が「ダンスダンスダンス」は詰めが甘かったみたいなことを発言してるんですよね。

今回そのリベンジに挑んだって感じでした。

HDリマスター…、ディレクターズカット…、リメイク…「ダンスダンスダンス」みたいな…。

それくらい村上さんにとっては、四部作シリーズの物語のコア部分は大切だったということなんでしょうかね。

まぁ単純に「ダンスダンスダンス」だけではなくて、「19Q4」などのテイストも入っていると思います。

なぜ似ているのか?そもそも羊男とは何者?



今回の作品の主人公

「私」=「村上春樹本人」

こんな図式で読んだ方も多かったと思います。

そして私から語られるスバル・フォレスターの男の描写がなんとなく羊男を連想させました。

「スバル・フォレスターの男」=「🐑羊男」

「スバル・フォレスターの男」=「二重メタファー」

二重メタファーとは、心の中にいて正しい思いをつかまえて貪り食べてしまうものだと感じると主人公はいいます。

私=村上春樹だとして例えるなら、村上春樹にとっての正しい思いとは、「小説家になりたい」だったと思います。

でも「二重メタファー」は、君が小説家になるには、お金がない、時間がない、才能がないから今はできないだろうと言ってきます。

単純にやれないのではなくて、理由があってできないんだよなっと…。

でもココロの底にあるのは、ほんとは変化に対する恐怖心だったりするわけです。

今の生活を変えたくないという。

つまり、ココロの中が二重構造になっているように感じる。

つまり、「羊男」の正体とは、人間の中にある恐怖心の比喩的存在(メタファー)なのです。

また、「おまえがどこで何をしていたかおれにはちゃんとわかっているぞ」というのは人間の意識のことを指しているんでしょう。

自分の意識が自分を監視、行動を制御してくるような(地縛霊レベルにしつこいヤツだ)。

つまり自分の意識が、一番チャレンジを阻んでくる存在なんだよという意味なんでしょう。

「心を勝手に動かさせてはだめ。心をふらふらさせたら、二重メタファーの餌食になってしまう」

二巻375pより


チャレンジの扉を開くといるヤツ



村上さんも小説家になると決めて、チャレンジの扉を開いた時に羊男(恐怖心)と対峙したんだと思います。

なので、専業作家になってからの、最初の作品(羊をめぐる冒険)に羊男が初登場して来ます。




いろんなところから登場してくるのですが、基本的に扉を開くと出てくるんですね。

扉を開く=新しい世界を開く

新しい世界を開く=チャレンジする

だったのです。

まあもちろん、物語なので、もっと大局で読み解くこともできるとは思います。


若い読者に…



「秋川 まりえ」=「読者者(若者)」とも感じました。

そう想定して読むと、村上さんの、若者を正しいストーリー(善の物語)で導けているのかという疑念も感じました。

どっか、いろんな問題は表裏一体だから、そっとしておけばよかったと弱気になってる村上さんを見ました。

そこらへんは作中に出てる、裏庭の穴と同じでしょう。

そんなことになる可能性が出てくるなら、「掘り返さなきゃよかったのかなぁ」と感じているのでしょうか。

なんとなく作家として今まで書いてきたものが、みんなに正しい形で伝わっているのかが、今更ながら不安になってきたようでした。

「でもそれは場合によってはけっこう怖いことかもしれない」

「自分をよりよく理解することが?」
まりえは肯いた。

二巻109pより


「でもそれを絵の形にしない方がいいと君は思うんだね?」彼女は私の目を見た。

「もし形にして、もしそれが善くない物だったとしたら、
先生はどうするの?もしそれがこちらに手を伸ばしてきたとしたら?」

たしかにそうだ、と私は思った。
もしそれが善くないものだったとしたら、私はいったいどうすればいいのだろう?

二巻21pより


あと正しいことでも、記録して良かったのだろうかとも思っているところも見られました。

今までたくさん作品を発表してきたが、読者によってレベルも違うんだから、人生の中で自然の流れで開けば良かったのだろうかと感じてるところも。

「つまりぼくがその作品を白日の下に晒したことが、すべてのものごとの始まりになっているということなのですか?
それが環を開いたということなのですか?」

二巻315pより


三巻目は出版されるのか?



いつも村上作品は、一度読み通したあとにもう一回読んでみたいと思うのだけど、今回の騎士団長殺しは、はっきり言ってもう一度読みたいとは思わなかった。

ファンだからって、全てを絶賛するとは限りません。

後半、感覚的なものだけれど、キレが悪かったというか、詰めが甘かったように感じた。

そこらへんも、「ダンスダンスダンス」に似てしまっている…。

結局、作者にとって、うまく書けない物語があるということなのでしょうか。

また最後の方、唐突に地震の話が出てきたのも不思議だった。

取って付けたような感じで、必要だったのだろうか?

突然入れ込んだことで、物語全体の輪郭が崩れて、グチャッとなってしまった印象に。

でも、「ダンスダンスダンス」の書き直しなので二巻で終わりだと思うが、三巻目が出版されたら、評価も変わってくるかもしれない。

たぶん三巻目は出版されないと思うけどね。

さいごに



全体的にまとめると、今回の「騎士団長殺し」は物語という形式をとってはいるが、これは村上春樹さんの自伝でした。


⚫︎ チャレンジの扉を開いて小説家になったけど、今でも恐怖心はあるし、それとの戦いなんだ。

⚫︎ 成功した今でも迷いがあるんだよ。

⚫︎ 発表した作品が読者にある程度正しく伝わっているか気になる。

⚫︎ 若い人に、悪いように作用してなければ良いんだけどな。



そんなことが書いてあるように僕は感じました。

私はそのような記録者としての役割を、あるいは資質を、誰かによって与えられたんだろうか?
もしそうだとしたら、その誰かとはいったい誰なのだろう?
そしてなぜこの私が記録者に選ばれたのだろう?

二巻169pより


こんなに世界的に活躍して、カリスマ化している村上さんでも、今だに迷いがあるし、恐怖心との戦いなんだと思った一冊でした。

それではまたね。





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